友禅染を主とする模様染に使われる白生地と言えば縮緬。白生地縮緬の生産系譜は西陣縮緬から丹後の丹後縮緬へ、丹後から長浜に技術を移入。今では西陣の縮緬は姿を消し、丹後と長浜が二大縮緬産地になっている。
浜縮緬の発祥は養蚕農家が丹後宮津の蚕種商人庄右衛門から蚕種購入していたおり、平絹に優る縮緬の利を聞いた東浅井郡難波村(現、長浜市)の百姓中村林助と乾庄九郎は彼の商人のつてを頼って丹後へ赴き、丹後縮緬の製織を習得、帰郷して宝暦2年(1752)に縮緬の製織に成功した。
宝暦9年には京都の近江屋喜兵衛を通じて市場での販売に漕ぎ着けた。明治6年のオーストリアの万国博にも出品、同7年の絹縮緬は4万5千反。その後、縮緬は長浜周辺を産地として大きく発展。一越。古代、お召、変り織の縮緬、浜紬と、白生地の品種も多くなり、昭和40年代のピーク時は年産約180万反を記録。当時の産地は浜縮緬工業組合傘下に機業場124社を数えた。昨今の同組合員は約20機業場にまで減少。隆盛を極めた昔の面影は失われている。